価値観から逃げないということ

0からものを作り出すときには、そのきっかけになるものがあります。

 

自分が好きなものや気になったもの、

時にはそれまで興味のなかったものに触れる機会を持つと、

ふとしたはずみで何かが心にひっかかり、

表現したい、発信したいという意欲が、

心の奥からぐーっとせり上がってきます。

 それをどのような形で表現するか、

どのような手段で発信するかということを

吟味するのに時間がかかってしまうこともありますが

それも創作活動の醍醐味というか、

なかなか手ごわくも楽しい作業ではあります。

 

すべての発信する行為から逃げていた

音楽やイラスト、文章に限らず、おしゃべりや身に付けるものといった

普通のコミュニケーションも

「何かを発信する」という意味で、私は創作活動だと思っています。

 

様々な発信方法を利用して

「自分はこう思う」

という価値観を表現すると、それに応じて

「私もそう思う」

という肯定的な意見や

「それは違うと思う」

という否定的な意見などが、第三者の価値観として自分へ向けられるわけですが

この価値観を浴びることに対して無駄にあたふたしてしまい、

疲れてしまうことが多くて

一時期すべての創作活動からずっと逃げ続けていました。

 

コピーロボットに喋らせる私

「すべての創作活動から逃げる」とはどういうことかというと、

コピーロボットのような自分を作り、体外的に「用意された価値観」で喋らせて

「これ言ってるの私じゃないから、攻撃されても褒められても何も感じないもんね」

とやって安心する、ということで

私はこれを社会や地域の場で、15年くらいずっとやっていました。

 

子どももいたし、人と繋がるにはその方が楽だったからそうしていたんですけど、

40代に近づくにつれ、そういうことをやっている自分が段々イヤになってきて、

この「第三者の価値観」をいかに受け取めていくか、みたいなことについて

一度深く噛みしめて考えてみることにしました。

 

できることとできないことだけじゃない

以前の私は、物事を単純に「できること」と「できないこと」の二つに分け、

自分ができないことについてはすべてコンプレックスに感じたり、

それができている人に憧れる反面、引け目のようなものも感じてしまったり

逆に引け目を感じなければ、それはそれで

「これは強がりなのか?」と自問自答してみたり。

まあ言ってみればウジウジしていたわけです。

 

あまりにもウジウジするので、深く考えないようにして

コピーロボットに適当に常識的なリアクションをさせていたわけなんですけど、

 

自分の思ったこともちゃんと言えるようになりたいな、と思ってきて。

自分の思ったことを勇気をもって発信するにあたり、

妙にウジウジしてしまう

「できること」と「できないこと」について

自分はどうしていきたいんだ、と掘り下げてみました。

 

すると、「できること」と「できないこと」の中でも、

自分の中の価値観が更に2つに分かれていることに気がついたんですね。

 

別にできなくてもいい、とみんなが思ってるわけじゃない

できることは

「できるけど、別にできなくてもいい」

「できるけど、もっとできるようになりたい」

 

できないことは

「できないけど、別にできなくてもいい」

「できないから、できるようになりたい」

 

そして、自分の中にある

「できることがいい」

「できるけど大したことない」という気持ち。

または

「できなくても別にいい」

「できないからできるようになりたい」という気持ちって

みんな同じじゃないよな、と。

 

職場や学校、地域のつながりって

「それわかる!」や「あるある~」という

共感のコミュニケーションを取ることが多いので、

ついついみんな似た価値観を持っていると思っちゃうんですけど

実は違うんですよね。

 

「お金持ちになりたい」

「有名になりたい」

「美しくなりたい」

というような、誰もが思う「そうなりたい」にしても

どのくらいそうなれば満足か、の数値は

人によって全然違うわけです。

全然違う!本当に。

 

人と自分、両方の価値観をぼやかしていた 

努力をすれば克服できることがあったとして、 

それを克服するかどうかは、その人の自由なのに

克服していないことがまるで悪のように感じたり

 

努力ではどうしようもないことがあったとして、

「努力ではどうしようもなかったんだ」という理由のみで

克服しなくても許される免罪符とするなら

それもちょっと傲慢だよね、と思ったり。

 

そのあたりをぼんやりとしかわからずに生きてきたので、

人の発信に無駄に落ち込んだり、怒ったり悲しんだりしていたんだなと。

 

「あなたは、そうなんだね」

過去の失敗や、今持っている欠点について指摘を受けたときに

反射的に反論したり、卑屈になる必要はなくて

「そうですよ」

と事実としていっぺん受け入れていい。

 

何なら、そんな風に完璧でない状態でも

結構幸せに生きてるんです。

すごいでしょ。ある意味選ばれてるよね。

という気持ちでいたっていい。

 

そして、自分が心から「もっとできるようになりたい」

と願うことがあって、

それを克服している人の価値観を受け取る機会があったなら

その考えを全力で取り入れる。何ならマネする。

 

自分が「それ、できなくても別にいいな」と思ってることに

重きを置いている人の価値観を受け取ったなら、

「あなたは、そうなんだね」と分けて考える。

 

私にとって、0からものを作り出すという作業や

それをしようと思う時の、心の奥からぐーっとくるせり上がりは

「できないから、できるようになりたい」ことでもあり、

「できるけど、もっとできるようになりたい」ことでもあります。

 

落ち込むこともありますが、ちゃんと自分の言葉で発信すること。

発信した以上、自分の価値観から逃げないでいようと決めたことで、

きっちりと生きていく腹が座ったような気がしています。

 

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